私の心が海の底に沈んでいた時、私は正に「やまなし」のかにの子どもになっていました。五月の黒くとんがっているもの、恐怖、そして十二月のいい匂いのする黒いもの。どちらも充分に味わいながら・・・。だんだん私の心が温まってきました。「波が黄金石の粉をはいているようでした。」の情景はどんなすてきなのだろうとイメージが膨らみます。「ここで起こっていることは私の幻灯だった。」ということで、スクリーンに戻し、出来事を見つめている自分自身に気づかせてくれます。
「わらべうた」は庶民の唄で、自らの生き方を伝えています。楽しく生きられる知恵として歌い継がれてきました。『子どもは真似をして生きていくものですが、心の中まで真似するのです。だから、できるだけ、なぜこうするのかわかって納得した上で、子どもに向かうと、子育ては楽しいし、やることはみんなあそびとしてやることだから、子どももすっと受け取って楽に育つことができるんですよ。』と安部ヤエさんは話しています。子どもの姿そのままを受け取っていきたいと思います。
この本は2000ブック・オブ・ザ・イヤーの時に購入しました。その頃、不思議な感じのお話だと思いました。教育制度が崩壊されているのが私には、頭の中が真っ白。
不登校の中学生が「ナマムギ」というネットで知り合い、自分たちを取り巻く世界からの脱出を開始する。全国60万集まって、巨大なネットコミュニティをつくります。子どもたちのリーダー的存在(明確なリーダーではない)である「ポンちゃん」が国会で答弁した時、「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。」と言うのです。教育制度、金融機関、国家体制、ネット社会、世界情勢など、体制や情勢に対して示唆深いものがあります。また、その頃、ビジネスキャリアの成功について「13歳のハローワーク」も書かれています。
2004年の本。初めて上野水香の舞台を見たのは、名古屋で行われた世界バレエ&モダンダンスコンクール、ジュニアの部金賞のエキシビジョンのときです。長い足とすらりとした身体、身体の動きが素晴しかったのです。ファンになってしまいました。現在は東京バレエ団のプリマ。世界的なバレリーナのひとりです。
世界中のリッツ・カールトンを訪れることを目指している著者井上さんが、リッツ・カールトンを訪れて、神秘な感じ、安堵の気持ち、故郷に帰ってきたような気持ちなどを味わいます。そんなリッツ・カールトンに私も行ってみたいと思いつつ読み進めていきますと、ザ・リッツ・カールトン東京総支配人リコ・ドゥブランクさんが秘密を明かしてくださいます。20の秘密は身に染みて、大切なことだと思いました。
運動能力抜群で天才的な才能があり、自信たっぷりで我が強く傲慢な態度をとるピッチャーの原田巧とキャッチャーの永井豪がバッテリーを組んで関係性を深めていく小説です。毎日決まったようにランニングをせずにはいられない原田巧の精神が、心配性で、はかなげな感じで、支えが必要な人間性として描かれています。原田巧に魅かれているキャッチャーの永井豪は大木のようで、巧を温かく、おおらかに包み込んでいます。人間の凹凸や強みと弱み、出来事の受け止め方の違い、心の変化や成長が織り成す物語に引き込まれます。児童文学作品ですが、登場人物の心の動きには、興味津々で読み進められます。
「自立」とは、単に経済的な自立だけを意味しているのではありません。精神的、および社会的な自立を意味します。将来成人して大人になったとき、自分自身に責任を持ち、社会の一員として積極的・主体的に生きていけることだと著者は言っています。たとえ血を分けた親であっても、子どもに代わって子どもの人生を歩んでやることはできません。ですから、子どもたちが将来自立して社会の中で生きていくために必要な力と態度を、積極的に育てていく努力をする義務があるのです。「キャリア教育」とは、日々激しく変化する現代社会にあって、「未来のある子どもたちが、将来を生き生きと自立的に生きていくことは大切なことだ」という信念から生まれた概念です。そして、その信念を実現するために「学校教育と社会と連続させることの重要性を核とした教育改革をおこなう運動」こそが「キャリア教育」と著者は述べています。
フェミニズムとは、女性解放の思想と行動のことです。上野教授は、20代から60代の40年間をかけて、フェミニズムとジェンダーの研究をし、不惑は40歳のことですから、「不惑のフェミニズム」というタイトルを考えていたのです。震災後大きく変わり、「私は何をやってきたか」ということでだけでなく、「なぜ、それをやってきたか」という強い思いが浮上し、震災を踏まえた講演「生き延びるための思想」となっています。女も歯を食いしばって男並みに頑張ることがフェミニズムのゴールだったんだろうか。「まさか、そんなはずはない。」そのことを原点に講演されています。女性学は女性の経験の言語化であり、理論化であると述べています。根底には、女ならだれでもいうべきことがある。この学問の原点は「私って何。」と問い、自分自身を研究の対象としています。「男女共同参画」という言葉は、「男女平等」を使いたくない社会が創りだした言葉なのです。社会の構造やルールが変わらないまま、競争原理に女も参加せよと言っているが、これは女が望むものだったのかと投げかけています。
図で読み解くことが大事であることは「図で考える人は仕事ができる」久恒啓一著で述べています。理解力、思考力、解決力が格段にアップし、応用性の広い知的生産の技術で、さまざまな関係の意味を意識し、図にして簡単に具体的に考えるだけで、何でもよくわかると言っています。そこで、ドラッカー理論を図で読み解くことで、右脳と左脳をバランスよく活性化して、私の仕事にドラッカー理論を生かすことができました。
みじめな私、悔しい私、苦悩する私・・・。ネガティブな私も好きになることができました。楽しいときは、自分の安全に対するこだわりがないときで、私は今現在、“安全”だと思える時間が“怖い”と思う時間より多くなっていると感じることができます。私に、そろそろ一歩踏み出して、“やろう”という気持ちにさせてくれます。また、著者は、人と関わる責任は100%自分にあるので、無意識に気がついていなかったとしても、そのツケは自分で支払うことになるから、目標をもって人とどういう関わりを持つのかビジョンが必要ですと言っています。終始一貫して私を元気づけてくれます。
サイコセラピストと青年実業家が生き方、あり方について語り合っています。軽く翔んでみませんか、あなたの殻に気づいて生きる旅のすすめと呼びかけていますが、その語り合いは、とても深いところで交わされる魂の旅です。言葉を大事にして、魂の通う言葉を語り、研ぎ澄まされた文章を綴ることを大事に語り合っています。
カタツムリのツブヤキとして著者のひとりの赤塚氏は、自分の作った「私」という殻に入って“自分を変えたい”と言っているが、今の自分を変えたくないという自己弁護であることに気づいている人はほとんどいない。自己探求には思いのほか大きなエネルギーが必要とされると書いています。私にはわかるような気がしています。
私は4月からずっと彷徨い続け、あちらに身を寄せ、こちらに身を寄せ、深く沈み、流れに身を任せつつ、存在していたように思います。この本に出会い、大げさかもしれませんが、なすべきことが何か腑に落ち、今後の歩む道が定まりました。
伝えたくなる面白さ【JOY (喜び)WOW(感動)LOVE(愛)FAN(楽しさ)】が含まれているか?君のサービスは、だれの、何の、インタレストを満たすものだろう?「たった一人」を見つけよう。自分の「不」? 社会の「不」?君のコア・アイデアを狭く、濃くできないだろうか?コア・アイデアは一言で言えるシンプルなものか?コア・アイデアを伝えた相手が何か得をするだろうか?つい伝えたくなる面白さが含まれているか?感染(うつ)すんです。この本が、著者の坂本啓一様が、次々と畳み掛けるように問いかけてきます。私のやっていることが、あるいはやろうとしていることが絞られてきている感じです。