2015年9月10日 投稿者: Kandori

演題『ありのままの自分に生きる』講演会

《問いかけ・働きかけ72》―愛シリーズ―
「ありのままの自分を見つめるのって、辛くありませんか。」

『ありのままの自分に生きる』という演題で
講演させていただいた時のことです。

この演題は、
感性論哲学創始者 芳村思風先生とご一緒させていたた時に、
担当者の方と私と、三人で決めたのです。

『ありのままの自分に生きる』ことが、
幸せになることなのだと、
うすうすは感じているのです。

ですが、
自分のありのままを見つめるのは、
私にとっては、
勇気のいる事でした。

3人で、決めたことでしたので、
逃れようとしても、
逃れられません。

私は覚悟しないといけなくなったのです。

できない言い訳も、
通用しません。

迷い、
揺らぎ、
思案。

その時、

浮かんできたことです。

感性論哲学後継者育成講座での出来事です。

私の今年の目標を

『私が私である証を実感をする。』と告げた時、

参加者のひとりの男性が、
「じゃあ、あなたの今までは、私ではなかったの。」と
質問したのでした。

その質問が心に刺さっていました。

果たして、自分を生きてきたのかどうか。

今年の私の目標を聴いた人が、
返してくれた言葉は、
私の今までの人生を振り返るきっかけとなり、

『ありのままの自分に生きる』の演題につながっていると、
感じたのでした。

「今までの自分ってなんだったのだろう。」
「どうして、今年の目標を『私が私である証を実感をする。』
に決めたのだろう。」

講演の機会をいただいたことで、
自分への問いかけが始まりました。

講演が終わった後は、
ぐったりしてしまうほど、
私の丸ごとに向き合ったのです。

自分にとって
カッコいいと思える自分も、
カッコ悪いと思える自分も、

好ましいと思える特性も、
好ましくないと思える特性も、

どんな特性も、
全部含めて、
そのままで、
自分というものをみつめてみることにしたのでした。

がっかり、
残念、
無力感も、

味わいました。

それは、そのままの自分と直面することでした。

落ち込んで、
落ちるだけ落ちていきました。

講演会が終わってからの方が、
落ち込んでいきました。

3か月落ち込んで、

やっと、

そのままの自分を
認められるようになりました。

『ありのままの自分に生きる』を
やっとのことで、
できるようになってきたと感じています。

もうそろそろ、
自分を許し、
自分を認めてあげようと
思っています。

 
コーチング グラン・ジュテ  組織を創造する人育て、人物教育プロコーチ さんの写真